稚内→枕崎日本縦断鉄道旅~12日目~

12日目 小倉→宇佐→大分→夜明→田川後藤寺→博多 (移動距離 )
 

 

1. 小倉→宇佐

例の怪しいホテルを早朝とっとと脱出します。

いつもの調子で5時に外に出ると、まだ日が昇りきっておらず、まるで秋のような気分。

ずいぶんと西へ来たものだなあと東国の人間並の感想を抱いてしまうものです。

 

小倉駅より日豊本線始発の2521M 宇佐行きに乗車。

(以後、個人的な趣向の問題により、宇佐は"USA"と表記させていただきます。)

祝日朝なせいか徹夜明けとおぼしき人がちらほら。

 

車窓は住宅街から郊外型商業施設、そして田園風景と典型的な都市郊外の遷移を見せ、大分県に入るとすっかり一面の田園風景となります。

小倉より朝日が差し込む東九州を列車はひたら南へ1時間半、6:59USAに到着です。

 

USA駅はUSA市の外れにあるため周囲は小さな住宅街と田園地帯。

アメリカ国旗を模した駅名標のデザインが一時期話題となりましたね。

観光パンフレットも明らかに星条旗を意識しています。

 

改札口で下車印を押してもらおうとすると、

「ひええ随分といっぱいだねえ。もう自分で押しちゃいな。」

と言われ、自分で押すことに。

この旅の後半で何度も味わってきた西の人間の温かさに助けられる旅路です。

 

ここからはバスで宇佐神宮へと向かいます。

「宇佐八幡」バス停までは宇佐駅から240円です。

駅前にポツンとあるバス停。

 

2. 宇佐神宮

宇佐神宮へは駅から7分ほど。乗客は私と同じく宇佐神宮を目指す若者と計2名でした。

(めっちゃ逆光)

 

 

最初の鳥居をくぐって左手には蒸気機関車、正面には紀元2600年記念に建立された神武天皇東征顕彰碑があります。

橋を渡ると2番めの鳥居が見えます。

 

 

手水舎で清めた後いよいよ本殿へと参道を進みます。

 

手水舎の先には、俗世とは一線を画した荘厳な世界が。

 

深い緑の中に身も投じつつ、まずは下宮へ。

 

下宮本殿の写真は残念ながら用意していませんが、左から順に一之御殿、二之御殿、三之御殿と三神が祀られており、参拝するのが習わし。

御祭神はそれぞれ八幡大神(応神天皇)、比売大神、神功皇后となっています。

これは上宮も同じです。

参拝作法は出雲大社と同じく「二礼四拍一礼」、この2社を旅程に組み込んだのは個人的な関心もさながらこの共通点にもあります。

昔は、庶民は下宮しか参拝できずこちらが広く信仰を集めていたようです。

 

続いて上宮へ。

 

こちらの社殿は国宝さながら非常に立派。格式の高さを感じます。

お守りやおみくじもこちらで授かることができます。

 

御祭神の比売大神や応神天皇神功皇后については語りこと多々あるのですが、旅行記としては相応しくないので割愛させていただきます。

 

上宮からは南大門へと出れますが、この南大門へと向かう階段の真下にはバリアフリーのためのモノレールが設置されています。

 

南大門を抜けるとそこには絵に描いたような日本の田舎が広がっています。

広がる田畑を見渡しながらある種の開放感が感じられました。一方で、境内では多くのもので溢れかえっていたかのような都会的なものが感じられたような、そんな気がします。

充溢していたのは生い茂る木々であったのか、それともそこに棲まう神々であったのか、積年の人々の信仰なのか。

 

 さて、もう一度下宮に向かうと、鮮やかな朱色と木々の緑とのコントラストが真夏の宇佐を美しく彩っています。

 

続いて境内を散策。

 

宇佐神宮が歴史の教科書で登場する唯一の機会と言ってもいいものが、和気清麻呂を中心に繰り広げられた宇佐八幡宮神託事件だと思われます。

その当時、御祭神である八幡大神は、現在上宮が所在するところではなく、大尾神社が所在するところに御鎮座されていたらしいので、そちらにもお参りします。

 

上宮・下宮への参道途中にある案内。

 

入り口の狛犬

 

こちらも参拝される方は少ないようで、整備も行き届いていない様子。

 

階段を真っ直ぐ突き進むと東郷平八郎の揮毫による和気清麻呂の顕彰碑が見えます。

 

案内に従い大尾神社へ。

人もあまり立ち入らない道を進む大尾神社への道中、娘一人の家族連れと一緒だったのですが、『千と千尋の神隠し』の家族構成に似通っていたもので、いつ神隠しに遭うか非常に心配でした。

 

和気清麻呂を祀る護王神社にも参拝。

 

宇佐神宮への境内へと戻る途中の風景。

 

時間もあったので、隼人の首を葬ったとされる凶首塚古墳へ。

訪れる人が少ないらしく道中草が生い茂っていました。

 

文化財の埋まる由緒ある土地ならではといった工事件名板でしょうか。

 

古墳へと向かう途中、このような看板がありましたが、坂の途中で神宮の方を見ると、見事まっすぐに呉橋へと道が向かっており、圧巻の光景です。

 

バスで宇佐駅へと戻ると、日豊本線は線路内人立ち入りの影響で30分遅れとのこと。

本来の予定では、バスから電車への乗り換え時間が2分ほどしかなく、可否が問われるレベルの計画でしたが、今回は遅延に助けられる形となりました。

星条旗インスパイアではない駅名票もありました。

 

ちょうど30分遅れで到着した定刻10:57宇佐発 ソニック11号 大分行きに乗車。

車掌さんに導かれて下車した子どもたち-子どもたちだけでの帰省だったのでしょう-が祖父母とホームで再会していた光景が非常に心にしみました。

なにせ、私の両親、同じ小学校の学区内出身で私自身も祖父母と同居しているため、そもそも帰省という概念すらありませんから、こういった光景には一種の憧憬があるもので。

乗車したソニックはもちろん満席。

そこまで長時間の乗車ではありませんから、これぐらい立っていてもどうってことありません。

停車駅を重ねるごとに帰省客を徐々に降ろし、別府駅で観光客を多く降ろすと、自由席にも空席が出始めます。

一応座りましたが、別府からたったの10分でもう大分駅に到着です。

駅とそれに隣接する複合商業施設によって形成されるJRおおいたシティは、夏休みと帰省と相まって大賑わい。中心駅のもつ外部性はやはり凄いものです。

最近は地方でも、単純に「北口」「南口」とするのではなく、独自の名称をつけるのが流行っているようで大分もご多分に漏れず。一応、方角も併記されているのがよそ者には親切な限りです。

 

駅ビルの屋上には子どもたちが乗車できるミニトレインだけでなく、鉄道神社なる施設もあります。

旅の無事を祈願してきちんとお参りしました。

 

大分からは久大本線 普通 豊後森行きに乗車。

熊本地震前に作成した当初案では豊肥本線も利用する予定でしたが叶わず。

不通となっている豊肥本線の早期全線復旧が望まれます。

 

イマイチ書くことが思い浮かばないのでこの区間に関する記述はしませんが、由布院駅前後で見える由布岳の眺めは素晴らしいものです。

豊後森駅着。

 

 

 3. 宇佐→大分

 

 

4. 大分→日田→田川後藤寺

 

 

5. 田川後藤寺新飯塚→博多

 

 

【今日の旅路】

小倉→()→宇佐→大分→豊後森→日田→夜明→田川後藤寺新飯塚→博多

 
f:id:einehoheBr:20160813114138j:image